正式名称 |
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インドネシア共和国(The Republic of Indonesia) |
位置 |
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北緯6度から南緯11度、東経95度から141度 |
面積 |
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約1,904,443平方キロ |
人口 |
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約2億3千9百万人(2010年) |
政体 |
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共和制 |
首都 |
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ジャカルタ(Jakarta)(人口約854万人)-インドネシアの政治・経済・文化の中心地である特別市として州と同等の地位にあります。オランダ支配下ではバタビア(Batavia)と呼ばれていましたが、1942年ジャカルタと改名されました。 |
宗教 |
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インドネシアは憲法で信仰の自由を認めており、これは国家五原則(パンチャシラ/Pancasila)の第一原則に“全能の神への信仰”として明記されています。人口の87%はイスラム教徒、キリスト教徒11%、その他仏教は1%、ヒンドゥー教徒は1%に満たないとされています。 |
言語 |
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インドネシアの国語はインドネシア語(Bahasa Indonesia)です。これはマレー語に近い言語で独立後国語として定められました。しかし、インドネシア各地では今でもその地域の言語(バタック語、スンダ語、ジャワ語、バリ語など)が使われており、583種以上の言葉があります。 |
歴史 |
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1980年、ユージン デュポワ博士によってジャワ原人(ピテカントロプス)の化石が発見され、およそ80万~100万年前には既に人類の祖先が、ここジャワ島に存在していたことが知られています。
紀元前3世紀ころ、モンゴル系のマレー人が中国やベトナム辺りからインドネシアへ移住し始め、その後紀元前1世紀にはインドの貿易商達が大挙してインドネシアへ渡り、ヒンドゥ-教文化と仏教文化をもたらしました。
7世紀ころには、ヒンドゥー王国や仏教王国が栄え、壮大な建築物や寺院の多くが建造され、シャイレンドラ王家が建造したボロブドゥールや、ムンドットなど素晴らしい遺跡が今でも残されています。この時代にスマトラにスリウィジャヤ王国が栄え、東南アジアで最も強大な王国として600年間勢力を誇りました。
13世紀、更に強大なヒンドゥー王国マジャパイトが東ジャワで台頭し、その後200年間インドネシア全域とマレー半島の一部を統合。この黄金期の名残はジョグジャカルタ付近のプランバナン寺院群や東ジャワのペナタラン寺院・ディエン高原の遺跡群など、ジャワ島内のいたるところで見ることができます。
更に13世紀にはイスラム教が伝播し、急速にイスラム化が進むと同時に、この豊かな国の存在はヨーロッパにも知られるようになります。
1292年にマルコ ポーロがヨーロッパ人として初めてジャワに足跡を印し、大航海時代の到来とともに各国の船が次々に来航、1602年にオランダは東インド会社を設立して香料とコーヒーの輸出を独占。オランダの支配は約300年、第2次世界大戦が始まるまで続いたのです。
大戦終了後、オランダが再度の植民地化をはかりましたが、国際的非難を受け、1949年12月27日、オランダは終にインドネシアの主権を認め、インドネシア共和国として正式に独立しました。 |