60年前の1955年4月19日、その多くが植民地支配の世紀から独立を得たばかりであるアジア、アフリカの29新興国のリーダー達が、彼ら自身の将来をつくると決意し“第1回アジア・アフリカ会議”に集結し伴に歩き手を携えた時、バンドゥンは世界史をつくりました。そして2015年4月19日から24日までバンドゥンと首都ジャカルタを会場に、この歴史的瞬間を祝う「アジア・アフリカ会議60周年記念会議」が開催されます。
去る2015年1月9日に大統領官邸で行われた同会議の調整会議後に行われたRetno外務大臣による記者会見において、政府は109人の世界的リーダーと25の国際組織にこのスペシャルイベントに参加するよう促すと述べました。
この祝賀会議において予定されている一連のアクティビティとして、4月19日から23日までインドネシアの首都ジャカルタで行われる公式政府間会議が行われると同時に、祝賀プログラムは、まさに60年前に歴史的なアジア・アフリカ会議が開催された会場“Gedung Merdeka”(現在のアジア・アフリカ会議博物館)において行われます。
そしてジョコ ウィドド大統領は「インドネシアが全世界の歴史の中で基本的な役割を演じた事を、この祝賀会議を通して世界に向けてもう一度記憶を呼び覚ます、絶好の推進力になるであろう。」と述べています。
1955年4月18日から24日に、後に「バンドゥン会議」として知られている「アジア・アフリカ会議」は、29のアジア、アフリカ諸国のリーダー達が彼ら自身の将来をつくると決意し手を携えるために集結したと記されています。また、彼らの人口合計15億人は、実に地球の地上の4分の1を覆っています。
最初のアジア・アフリカ会議には、アジアとアフリカの歴史に名を連ねる名士の人々が出席しました。インドネシアのスカルノ、娘のガンジーと共に出席したインドのネルー、当時セイロンのジョン・コタワラワ閣下、パキスタンのムハマド・アリー、カンボジアのシアヌーク殿下、当時ビルマのウー・ヌ、エジプトのナセル、中国の周恩来他、多くのリーダー達が出席しました。そして彼等リーダーと代表団達は団結を強調するために、宿泊先ホテルであったSavoy Homannから会議場Gedung Merudekaまで、一緒にドラマチックで歴史的な行進をしました。
また、米露冷戦の頂点の中で開催されたバンドゥン会議は、一般の懸念を明確に述べ、アジア、アフリカの国々の間で協力するためのガイダンスを準備すると同時に、世界秩序と世界平和の実現に向けて大きな成功を得ました。会議では国連の大部分の原則が取り入れられた、世界平和と協力の推進に関する宣言「バンドゥン10原則(ダサ・シラ・バンドゥン)」を採択し、それは当時まだ独立に向けた闘争の中にある植民地であった国のためのガイドラインとなりました。また、同時に世界平和と国際協力を促進する事での基本的主義になりました。
|